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大阪家庭裁判所 昭和39年(家)5597号 審判

申立人 大石民子(仮名)

相手方 吉田市男(仮名)

事件本人 吉田史郎(仮名)

主文

事件本人の親権者を相手方から申立人に変更する。

相手方は事件本人を申立人に引渡せ。

理由

本件調査の結果によると、次の事実が認められる。

(一)  申立人と相手方は昭和三五年一月八日婚姻し、昭和三七年一一月二〇日事件本人(長男)をもうけたが、昭和三九年三月一四日協議離婚し、その際事件本人の親権者を相手方と定めた。申立人はこの協議離婚をするより前、昭和三八年三月二日離婚の調停を申立てたが(当庁昭和三八年(家イ)第三六八号事件)、事件本人を引取つてほしいとの相手方の意向を拒んだため調停成立の見込みがなく、これを取下げ、さらに同年一〇月五日同趣旨の調停を申立て(当庁昭和三八年(家イ)第一九七八号)、その調停においては申立人は相手方の性格、生活態度から事件本人のためには自分が引取るべきであると考えていたが、結局調停は不成立に終り、その後事件本人の親権者を相手方にし、その監護養育者は当分の間申立人にするとの相手方の条件をいれて上記協議離婚をするに至つた。

(二)  相手方は婚姻中家業の電気部品販売業を営んでいたが、昭和三六年台風の被害をうけて経営不振に陥つたため転職を図り、写真学校で三ヵ月間技術を修得したのち写真館に勤めた。しかし、その頃から相手方は勤労の意欲をなくし、間もなく写真館をやめ、その後は全く定職をもたないで、親戚から借金したり、家にある衣類等を売却したりしたうえ、その金を浪費して放浪生活をつづけ、家庭を全くかえりみなくなつた。そこで申立人は昭和三八年二月離婚を決意して実家に帰り、会社の事務員をしていたが、相手方はその実家や勤務先に押掛け、ときには暴力をふるつたりしたことがあり、結局上記離婚に至つたものである。

(三)  相手方はその後も放浪癖がひどくなり、現在は自宅にいる相手方実父にも行先を告げずに家出しており、本件申立がなされた昭和三九年一〇月二日以降においても一一月三日に一度帰宅し、同月一〇日に申立人宅に押掛けて来たことがあるが、取り乱したなりふりで、毎日大阪市内の安宿や駅の待合室で寝泊りしており、その所在が明らかでない。また相手方は肺結核の病歴があり、最近その病状が悪化している様子である。

(四)  上記当庁での離婚調停中、当庁技官がなした相手方に対する性格検査の結果によると、相手方は情緒面での安定を欠き、対人関係が円滑でなく、現実からの逃避的傾向、孤立孤独傾向、突飛な非常的手段にうつたえて人の注意を集めようとする傾向がみとめられた。

(五)  事件本人は両親が離婚後、申立人の許で養育されていたが、本年七月中旬に相手方に引取られ、現在は相手方に連れられて放浪の生活をしている。相手方の事件本人に対する愛情は異常なほど深く、常に事件本人を抱いて離さない。

(六)  申立人は現在無職で、実家に寄食しているが、実父大石松男は紙裁断業を営んでいて生活の不安がなく、申立人が事件本人を引取つても実家の援助で養育することができる状況にある。

(七)  相手方の実父吉田孝男は相手方の生活態度に絶望しており、事件本人のためには申立人の許で養育をうけるのがよいと考えている。

以上の事実を総合すると、相手方の事件本人に対する監護養育は適切であるとはいえず、事件本人のためには申立人の許においてその監護養育をうけさせるのが相当であると認められる。

よつて、本件申立を認容し事件本人の引渡しについては家事審判規則第七二条、第五三条を適用して主文のとおり審判する。

(家事審判官 西尾太郎)

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